Q. 近頃二、三年すると世界戦争が起って人類の半分以上が滅亡してしまうという予言を方々の宗教家がしています。また宇宙人との会見を事細く予言して、その通り実現されているとかいうニュースをききますが、高い神秘力をおもちの先生が一切そう云った予言をなさらぬのは、何故なのですか?

A. 宗教者の中には予言者と予言者でない人とが存在するようですが、私は予言者ではなく、実際面の指導者なのです。

私の使命は過去から現在までに否これからのすべての人類にとって不幸なる予言を実現させぬため、あるいは最少限度でそれらの不幸なる予言を事実として現わさしめぬために、祈り一元の道を指導する宗教者なのであります。

人類にとっての不幸なる予言は、人頬にその予言の実現を防がせようとする気持を起こさせるより、人類の気持を萎縮させ、暗くさせる率の方が多いようです。

私は人間の心を萎縮させたり暗くさせたりすることを極度に嫌う立場に立っております。

人間には常に勇気と希望を湧き立たせなければいけないと私は強く思っているので、人間の力ではどうにも防ぎようもない未来の不幸を予言したりすることを、私は好まないのであります。

私の霊覚には個人々々の運命の波も、地球人類の運命の波も、かなり明らかにうつっていますが、それは幽界にうつっているものと、神界においてなされているものと大別して二通りあるのです。

大半の予言者の不幸なる予言は、幽界に出来ている波を観て云っているのでありますがそれだけが人間や人類の運命ではありません。

幽界においてすでに出来上がっている個人や人類の運命は、守護神の干渉がなければ、そのまま肉体界の運命として現われてきてしまいます。

そしてその暗い不幸な運命を易々とこの地上界に現出せしめてしまうのは、個々人の暗い想念、争いの想念、妬みや憎悪や怒りや恐怖の想念行為なのであります。

そして、その反対に、そうした運命を個々人の上にも、人類の上にも現出せしめない方法は、個々人の想念のすべてを神の世界、守護の神霊のみ心の中に全託してしまう方法なのであります。

全託致しますと、人類の想念は神界とつながり、神界においてすでに出来上がっている地上天国、大調和世界の姿が、この地球界に顕現してくるのであります。

個々人がそして、人類が、どちらの世界をこの地球界に現わそうとも、その人々や人類の自由なのです。

そうした自由を私たち人間ははじめから与えられているのであります。

今こそこの自由を、地上天国実現のために使わなければなりません。

私はその方法の中で一番やさしい方法をこの地球界の人たちに教えるために、守護神団の器となって生かされているのであります。

この方法にはなんらの予言もいりません。

たゞ実際行動が必要なだけなのであります。

天の理念を現実化せしめる実際行動、それは人類守護の神霊団体の光明に輝く、世界平和の祈りを日々の常住坐臥(じょうじゅうざが)に行じつづけてゆくだけなのです。

神仏の存在を信ずる、少しでも信仰のある人は、自己の利害関係のお祈りお詣りをも含めて、どうぞ世界平和の祈りの明け暮れを今日から送って頂きたいのであります。

寝てもさめても唱名念仏すべきものなりと同じように、世界人類が平和でありますように……の祈り言を、寝てもさめても歩いていても食事中にでも、ありとあらゆる時間、二十四時間プラス・アルフアの日常生活に行じて頂きたいのです。

食事しながらだの、寝ていながらだのでは、唱えられないではないかと思われる人は、声の言葉や、頭脳的想念で祈ろうとしているからなので、世界平和の祈りというものは、実は、一日一度でも頭に思い浮かべれば、そのまま一日中、心の中で嗚りひびいているのであります。

親鸞の申した一念の念仏と等しい方法になっているのであります。

皆さんが一度でも、世界平和の祈りをしようと、世界平和の祈りを唱えたその日から、その人の心の中では世界平和の祈りが嗚りひびくのであります。

それは声で唱えずとも、頭脳で思わないでも、そのままその人の心に一生を通して世界平和の祈りはひびきつづけているのであります。

それはどういうことかと云いますと、皆さんの本心は、はじめから世界平和の祈りを唱えているのであって、今改めて祈っているのではなく、その人の業想念がその真理を知らずにいたのです。

それを私が改めて、外からその人の業想念を破って祈りの言葉を本心につなげただけなのであります。

これが宗教の真理なのです。

この真理を悟るのは中々時間がいるでしょうから、そういうものかなぁ、と思って、世界平和、世界平和と何気なくでもよい、思いだす度びに、世界平和の祈りを祈っていて下さい。

そうしているうちに、世界平和の祈りがあなたの心のうちで嗚りひびいているのをあなたは自覚することでありましょう。

私はこの真理を人類に知らせ行じさせるためにこの世にきているのであって、他のことは他人の役目でありましょうから、他の人におまかせしているのであります。

私は実際家であり、現実主義者ともいうべき宗教者なのであります。

■書籍「宗教問答」(日本語/Japanese) 五井 昌久 著
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