神と人間 安心立命への道しるべ
ー 五井 昌久著
第八章② むすび
指導的立場の人や、国家や、人類のために直接働いている人びとには、個人の守護霊や守護神の他に、国を守る国常魂(くにとこのたま)や、人類の正しい発展を観じている神々が常に指導しているのである。
このことを認識せぬ指導者は、せっかく、前生の善因によって高い地位を与えられながら我意我欲に流れて、自他ともに転落し、国家や、人類を苦難の底に喘がせることになるのであるから、指導者こそ、常に生命の原理を追求し、神を想い、祈らなければならぬものである。しかもこの祈りは、必ず、人類平和、人類繁栄のために、自国が、自国の本質を発揮して、立派な働きができるように、という祈りであって、自国だけが甘い汁が吸えるようにというような、想念であったら、自国の滅亡を祈っているのと、同じことになることを注意せねばならぬ。
相手を負かすために、神の智慧があるのではない。自分を生かし、相手を生かすために神の智慧が人間に働いているのである。
世界に多数の国があり、多数の民族があるが、これは神が各直霊に分れ、直霊が各分霊に分れたと同じように、各国、各民族個有の独自性をもち、各々がその独自な智慧や、力を出し合って、神の意志を地上世界に創造しようとしているものなのであるが、不幸にしていまだ、世界は神の意志にそわず、各国、各民族が、各自、その智慧や力を分散して、我で築きあげた国家を護り堅めるために営々としているのである。疑っては武備し、武備しては戦い、戦っては傷つき、傷癒えぬ間に、また戦う。敗者は悲しく、勝者また喜べぬ現世界である。
この人間世界が、分れ分れの智慧や力を、分散して現わしていたところで、相対的な勝ち負けになるだけで、一向に真実の神の世界、調和の世界はできて来ない。
その根柢がわからず、お互いが相手の力を抑えようと研究し合っている姿は、神にとってはなはだ情けないことではなかろうか。
お互いの生命は一つの大生命(神)につながるものであり、お互いの智慧や力が、一つの根源から出ているもので、お互いの智慧や力を集積すれば、たちまち、神の世界が地上に実現するのである。これは頭でわかっても、なかなか実行できぬことであろうが、この理を最初に実行にうつした国や民族は永遠に滅びぬ神へのつながりを、確約したのと同じである。
この行為を実現するためには、非常なる勇気が必要である。そのためにこそ、国民の一人一人、民族の一人一人が真の信仰に入らなければならぬし、神の真意を知る偉大なる指導者が、多く生まれなければならない。
その日はいつか、それはそう遠い将来ではないと、私は信じている。
巻末へ続く
Dios y el Ser Humano (Spanish Edition)
Deus e o Homem (Portuguese Edition)

