神と人間 安心立命への道しるべ
 ー 五井 昌久著

巻末 世界平和の祈り

 地球世界の人類は、今いったい幸福なのでしょうか不幸なのでしょうか。こういう問を出された大半の人は、地球世界は今不幸な状態です、と答えられることでしょう。

 何故地球人類は不幸なのでしょう。それはこの世が争いの想いに充ち、不調和、不完全な状態にあるからです。

 地球は今では全く狭くなって、米ソ、西欧諸国の政治政策はすぐさまアジア、アフリカ諸国にその影響を及ぼし、アジア、アフリカ諸国の出来事は、直ちに西欧や米ソに反響を与えます。

 今日の個人の生活は、それがどうしても個人だけに止まっていることができず、国家や人類の動向に必然的に影響されてゆくのです。

 ですから、今日の個人には単に個人としての生活はなく、個人の生活の浮き沈みは、国家や人類の動きに左右されざるを得ないのです。いかに有能な個人がただ単独でどのような働きをしたとしても、それで国家や人類が幸福になるということはできないので、国家や人類全体が、争いの想念や不調和、不完全の環境からぬけ出さないことには、個人個人の真実の幸福はあり得ない、ということになってきます。

 今日の世界状勢は、どの国家間の状態を見ても、大戦争へのきざしを含んだ、不調和な無気味な雰囲気をもっています。ただ、いまだその雰囲気に火がつけられていない、というにすぎません。

 いつ戦争が起こるかわからない。いつ天変地異があるかわからない。そういう地球世界の雰囲気の中で、真実の幸福生活をつかんでゆく、ということは、なかなか大変なことです。この世における個人の幸福は、どうしても世界人類の幸福と結びつかなければ生まれ出ないものなら、いっそこの際、個人と人類というものを一つに考えてみて、そういう観点から一切の行動をしていったらどうであろう、と私はこう考えたのです。

 そこから、私の提唱している世界平和の祈りが生まれでたのです。

 世界人類が平和であること、それは取りもなおさず、個人個人が平和な環境におられることであり、個人個人が平和な環境に生活できることは、世界人類の平和が成り立っているからであるということになります。

 ところが現在は全くこの反対で、真実の平和は個人の心にも、世界人類の中にもまだ生まれでてはいないのです。この事実は、皆さんがこの世の姿や自分の心をみつめてみればすぐにわかることです。

 個人も世界も、常に不安動揺しています。現在の個人の幸福は、それは一瞬一瞬の起伏の一駒(ひとこま)であって、永遠の生命につながる安定した幸福では

ありません。

 真実の幸福は、これから私達が協力してつくりあげてゆかねばならないのです。

 永遠の生命に立脚しない、虚偽の幸福感などでは、この地球世界に真実の平和は打ち立てられません。

 この地球人類を不幸にしている最大の原因は、自分たちが、一なる神(大生命)から分れてきている兄弟姉妹であることを忘れ果てて、自分と他人とは別のもの、という、神のいのちをひきさくような、人類愛にもとった生活をしはじめたことなのです。

 そうした生活が今日では、習性となって、自他の差別観がぬきさしならぬ業(カルマ)の波動となり、人類全体を蔽ってしまって、自我欲望の想念となり、自分や自国の利益に反する他人や他国を敵視してしまうことになってしまったのです。

 ですから、今日の社会生活、国際関係の中で、五人や十人の偉人が出て、真理にそった政治をしようとしても、業想念の波動が烈しすぎて、その真理を実行できずに終ってしまうのです。

 どうしてかと申しますと、今日の世界は、もはや、少数の人びとの動きではどうにもならぬ時代となって来ているので、どうしても、多くの大衆の力が必要になってくるのです。大衆の力を総動員できる容易なる世界平和実現の道がどうしてもなければならないのです。人間誰しも世界平和を願わないものはないのですが、いったいどうしたら世界平和が実現するかは、この混迷した世界状勢の中での一般大衆にはわかりようがありません。

 そこで、なんらの苦労を伴わずにやさしく入れる世界平和への道が、絶対に必要になってくるのであります。

 人間の心が、労せず巧まずして一つになる方法、自他の利害を区別せず、自然に自他一体観が確立できる方法、その方法が必要なのです。それには、各人の利害得失を想う想念を、一度どこかに投げ出させてしまわねばなりません。それが世界平和の祈りなのです。

 私は人間とその生き方については、次のように思っており、実行しております。

~ 人間の真実の姿は、業生ではなく、神の分生命(分霊(わけみたま))であって、常に祖先の悟った霊である守護霊と、守護神(天使)によって守られているものである。

 この世の中のすべての苦悩は、人間の過去世から現在に至る誤った想念が、その運命と現われて消えてゆく時に起こる姿である。

 いかなる苦悩といえど、現われれば必ず消えるものであるから、消え去るのであるという強い信念と、今からよくなるのであるという善念を起こし、どんな困難の中にあっても、自分を赦し、人を赦し、自分を愛し、人を愛す、愛と真と赦しの言行をなしつづけてゆくと共に、守護霊、守護神への感謝の心を常に想い、世界平和の祈りをつづけてゆけば、個人も人類も真の救いを体得できるものである ~

とこのように想っているのです。

世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

私たちの天命が完うされますように

守護霊さん、

守護神さん、有難うございます

 こうしたやさしい唱え言の中に、自分たちのあらゆる想念を投げ入れて、その祈りの中から改めて、自分たちの生活をつづけてゆきますと、いつの間にか、個人的な排他的な気持が薄れて、世界人類の幸福を願う、人類愛の気持が湧きあがってきて、いつとはなく、その個人の人格も完成してゆき、世界平和への個人の最大の行為である、個人生活での調和なしらべが奏(かな)でられてゆくのです。

 個人の生活が平和になると共に、人類世界の平和達成に大きな役割を果す、世界平和の祈りこそ、現在世界中において最も必要なる善事であろうと思います。

書籍 「神と人間」 五井 昌久 著

God and Man (English Edition)

Dios y el Ser Humano (Spanish Edition) 

Deus e o Homem (Portuguese Edition)

Gott und Mensch (German Edition) 

kaa Mí Gàp Má-Nóot(タイ語)

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