「日々の指針」
ー 西園寺 昌美 著
つねに原則にかえる
1.
何事も難しいというのは、易しいということがわからないからである。考えすぎて、すべてを複雑化して捉える習慣が身につき、単純に考える方法を忘れてしまっているからである。どんなに難解のように見えても、又思えても、原点は実に単純明解そのものである。宇宙の運行も大自然の法則も、決して複雑なものではなく、単純そのものである。世の中が進むにつれて、ますますすべてが複雑になってゆく。これは人間が勝手に作り出しているものである。すべて事に当る時、まずやらねばならぬことは唯一つ、これは必ず自分に出来る、と思うことであり、易しいと思うことである。
2.
人は誰でも自分に「力」があったらなァと望む。「力」とは力自体なんの力もない。もし我々善人が力をもてば、素晴しく強力な力となり、偉大な力を発揮し、世界を平和に、世界の人々を幸せに導いてゆく。だがもし悪人が力を持てば、それは権力という暴力を発揮し、殺人、戦争にと力を発揮し、人々を暗黒へと導いてゆく。力とはそういったものである。何の為に力が必要なのか。欲望達成の為の力なら、むしろ無いほうがましだ。人類を平和に導く為の力ならば、神が今すぐあなたに与えるであろう。
3.
生命がなんであるかをよく知ることだ。生命はすべて神のみ手にゆだねられている。
「生きるも死ぬるも神のみ心のまま」なのである。一瞬の生命であろうが、百年の生命であろうが、そんなことは問題ではない。生命は永遠に生きつづけているのであるから、ただ肉体の衣を脱ぎ去るだけにすぎない。結果的に人間死ぬ時はいかようにこの世の手段をとっても死ぬのであり、生きるべき人はどんな死の淵に立たされても生きるのである。生に執着すべきではない。
4.
自分なりに一所懸命何かに対して努力した後は、もうそのことについて一切心を離すことだ。お風呂に入っている時とか、庭の木々や花々に見入っている時とか、何かすべてを忘れてボーッとしている時とかに、必ず直観としてその答がひらめいてくる。毎日毎日努力することのみによって、すべてが解決するわけではない。すべての事柄は、人間の方の努力と神の方の叡智が一つになった時に、はじめて成就する。