如是我聞 ー五井先生の言葉ー(日本語)
高橋 英雄 編著
187.
あれも運命だ、これも運命だ、という人がいます。
大体の人は、自分が運命の流れの中に入ってしまって、その流れに左右されているようです。
ところが本当は、自分というものと運命というものは違うのです。運命というものは、前生を含んだ過去において作ったものが、今現われて消えてゆく姿だけのものなのです。
運命それ自身が今の自分ではないのです。たとえ運命が善かろうと悪かろうと、今の自分のものではないのです。すべて過去世からの想念行為が現われては消えてゆく姿なのです。
ですから運命環境が悪くても、それは今の自分が悪いからではない。また運命が素晴しくよくても、それは今の自分が善いから、偉いからというわけではない。それはすべて過去からの想念行為の蓄積が、現われて消えてゆく姿なのです。
ですから運命や環境が悪いから、といって今の自分を嘆き悲しみ、責め卑下することはありません。また運命環境がよいからといって、感謝こそすれ、自惚(うぬぼ)れたり威張ったりしてはいけません。それはみな消えてゆく姿なのです。
では今の自分はどこにあるか。
今の自分は神の中にいるのです。神の生命と全く一つの個性をもった永遠の生命なのです。
そして現われてくるものはすべて消えてゆく姿。
この信仰に徹すると、生き死にの恐怖不安に把われなくなり、永遠に生きつづける生命がある、という不動心を会得出来るのです。
■書籍「如是我聞 ー五井先生の言葉ー」(日本語/Japanese)
高橋 英雄 編著
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