神と人間 安心立命への道しるべ
ー 五井 昌久著
第五章⑤ 因縁因果を超える法
守護霊は霊界、幽界、肉体界と三界を通して働ける者なので、幽界において、できつつある運命、あるいはすでにできあがって、時間の経過につれて自然に肉体界(現界)の運命として現われようとする悪想念の結果(因果)を、あらゆる手段をもって、その人間の運命として現われぬように修正してゆく。
この守護霊の働きを、知っている人、感じている人は実に少なくて、肉体人間の大半が、この蔭の働きを知らないのである。守護霊はその肉体人間が、守護霊の守護の力を知ろうと知るまいと、それは問わず、ただひたすら、運命の修正に全力を挙げているのである。いわゆる菩薩行なのである。
いったいどういう風に守護霊が運命を修正してゆくかというと、種々の方法がある。
例えば、転覆した汽車に乗るべきを、忘れ物をして乗り遅れたため、生命の危機を逃れた。
という場合、「物を忘れた」、この「忘れ物」に守護霊の働きがあるので、守護霊の念が、その人の肉体頭脳に働きかけ、その人の頭の回転を瞬間的に阻止して物を忘れさせるのである。
また他の人を使って、自分の守護する人間を助ける場合もある。
例えば、ある人が、何か急に友人Aを尋ねたくなり、別段に用事もないのに、急用でもあるような気持で、その友人を尋ねる。と、友人A一家は、事業に失敗して、今まさに一家心中の手前であった。驚いたある人は早速この友人Aのために一肌脱いでやることになった。
この場合、Aの守護霊は、Aを助けるため、Aと波長の合う友人のある人に、念(おもい)を送り、Aの家へ引き寄せたのである。この友人なら、Aを救ってくれる、ということを、守護霊は、はっきり知っているのである。
この二つの例のようなことが、常に人間世界の生活の上に起こっているのである。
守護霊はその被守護体の睡っている時から醒めて働いている時、休んでいる時、いついかなる時間にも、この人間を守りつづけているのである。そして、この人間の発する悪想念の蓄積を浄めるために、たゆまざる努力をつづけているのである。もっとも、肉体界(現界)の救いとしては、この人間にでき得るかぎりの努力、経験をさせつつ、いざという時に助けるのである。
ここで、大いに考えなければならぬことは、守護霊にとって、一番働きやすい、肉体人間の状態は、常に守護霊のほうに心を向けていてくれることである。
守護霊の存在のいかに重大であるかを知って、常に守護霊に感謝を捧げている子孫ほど、守りやすい肉体はないのである。もっとも守護霊の生前の氏名など知る必要はない。守護霊が懸命に、浄めの念を肉体に送っても、その肉体の心が、全然他をむいていて、一向に守護霊のほうに心を向けなければ、守りにくくて仕方がない。
やっと睡りの世界に肉体が入った時、無心になった肉体脳髄から、悪想念の蓄積(その時々の因縁)を夢として消すことより仕方がない。
そこでこうした人を守るためには、先程の二例のように、他の人に送念して、他の人から注意や、助太刀をしてもらうことにする。この時の相手は、必ず過去世において、守護霊同志、または、肉体人間同志が因縁浅からぬ者でなければ駄目なのである。
しかし時には、その被守護体の人間が、あまりにも業因縁が深く、迷(無明)で分霊の光をほとんど覆ってしまっている場合には、いかに守護霊が全力を挙げて浄めたり、奔走したりしても、通じない。仕方がないので、守護霊は、守護神に救援を願うのである。
すると守護神はこの願いを聞き入れて、大いなる神の光を、その肉体人間に放射する。この光は業因縁を通して、分霊に通じ、分霊の光の力が増してくる。この時、なんとなくこの肉体人間の心(脳髄)に宗教への関心が湧いてくる。この場合、たんにご利益信心的な心であるかも知れない。それでもよいのである。この人間にとっては、その気持の起こったことが、一歩も二歩もの進歩なのである。
その時、守護霊は、その機会を逃がさず、その人間に適当する宗教に、その人間を導くのである。
また、ある場合は、守護神の光によって、一挙に幽界に転出してしまうことがある。いいかえれば、急死してしまうことがある。それは、そのほうが、この人間の進歩に都合が良いからである。
以上のように守護霊は肉体人間と一つになって、人間を善導しているのである。
人間が、自己の運命を改善し、幸福になりたいとするならば、ただ、守護霊に自己の運命を委せればよい。守護霊さん、ありがとうございます、守護神さん、ありがとうございます、神様、ありがとうございます、と常に感謝していればよい。この心が神への全託なのであり、守護霊の活躍を充分にさせる一番よい方法なのである。
この心でいれば、その人の行動はおのずから、調和した整ったものになり、生活は楽しく楽になるに決まっているのである。何故ならば、守護霊、守護神、と真っすぐにつながり、そのつながりによって、その光によって、業生の因縁因果の渦巻からいつの間にか離脱でき、分霊本来の光が直霊(神)につながり、肉体をもったままで、人間神の子の実観を、真に体得できるのである。
第五章⑥へ続く
Dios y el Ser Humano (Spanish Edition)
Deus e o Homem (Portuguese Edition)