神と人間 安心立命への道しるべ
 ー 五井 昌久著

第五章② 因縁因果を超える法

 業因縁は過去世の過去世から流れつづいている波の連続である。この五十年、六十年の肉体にのみあるものではない。まして、各人の肉体的環境(病気や幸、不幸)がその間の二年や三年に起こした念(おもい)の現れとして、できあがったり現われたりしたものではない。誰が見ても立派な心の人が不幸になっており、どこから見ても悪いように見える人が、人も羨む幸福を得ている例は枚挙にいとまがない。

 だから、簡単に人を責めたり、審いたりすることはできないのである。

 人間はそれぞれ、各種各様の因縁の心を持っていて、Aの善なる生き方を、Bが必ずしも真似られるものではなく、Bが何気なくできる善行為をAがその通りにできるものでもない。一字、一線においてさえ百人百様、千人千様なのである。ただ、非常に似通った心の人とはなはだ異なる心を持つ人とがある。

 これを想念の類似、あるいは因縁が合う、合わぬ、ということになるので、こんなためになる本をあの人は何故読まぬか、といって、その人が、自分の薦める本を読まぬ、という理由で、その人を低級視する人があるが、それは低級視するほうが間違っている。

 バッハや、ベートーベンの曲は素晴しい音楽である、と思う人が、それらの音楽に無関心で、流行歌謡に熱中している人を、ただそれだけのことで軽蔑したら、これも誤りである。

 宗教に入って現在熱心な人であっても、その熱心さが利己心から発している人もあれば、今、宗教に無関心のように見えている人の心が純粋な愛に燃えている場合もある。現在、形の世界に現われている言動のみでその人の真価をはかることはできない。

 それ故私は、その人、その人に最も適切なる指導をしているものであるが、その指導は次に説明するような原理、法則を元としているのである。

 この現界は潜在意識(ひそんでいるこころ)、と顕在意識(あらわれているこころ)とがぐるぐる廻っているので、顕在意識(普通いう心)に想ったことは、すべてそのまま潜在意識(幽体に属する心)に記録され、その記録された想いが、表面の心、顕在意識に記憶として浮びあがり、ある時は、直接行動として、言動に現われる。そして、その現われた言動がまた再び潜在意識に録音される。こうした、ぐるぐる廻わりが、その人、その人の運命となって現われているので、その理をまず知った上、幽界、肉体界を通して各人の運命を修正している守護霊の働きを観じなければ、運命を善くすることはできない。

第五章③へ続く

書籍 「神と人間」 五井 昌久 著

God and Man (English Edition)

Dios y el Ser Humano (Spanish Edition) 

Deus e o Homem (Portuguese Edition)

Gott und Mensch (German Edition) 

kaa Mí Gàp Má-Nóot(タイ語)

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