神と人間 安心立命への道しるべ
 ー 五井 昌久著

第五章① 因縁因果を超える法

 次にはいかにしたら一日も早く、業因縁の波を解脱(げだつ)し得るかを説くこととする。

 解脱するためにあらゆる難行苦行をした昔の求道者(ぐどうしゃ)は、その意志において偉大なるものがあったが、私は現代の人にそれを求めようとは思わない。また、山に入り、滝にあたり、断食をする等の行は、今日の人びとには生活環境からいってなかなかむずかしいことであって、ほとんど大半の人びとが実行し得ないことである。

 業因縁、即ち、物質(肉体を含む)を実在と観ている誤謬(ごびゅう)からくる、物欲、色欲、執着欲、これら種々の欲望を消滅し去ろうとして肉体に与えた苦行も、方法が誤っていれば、効果が少ない。私は肉体に敢えて特別の苦行を与えず、与えられた生活環境をそのまま生活として行じてゆく普通人にでき得る解脱の道を説きたいのである。その道は私自身を現在に成し得た道なのであるから。

”悟ろうとすればまず欲を捨てよ”とか、”あなたは短気だから、その短気をなくせばよい”とか、”その執着を断つのですよ”等と簡単にいう人があるが、この人は人間の業因縁というものが、いかに根深いものであるかを知らぬ人であって、指導者にはなり得ない。

 また、人間の世界は思う通りになる世界である、という念の法則を、現在だけの肉体界の念と解釈して、

”相手を拝まないから、相手が悪く現われるのですよ。あくまで相手を拝みつづけるのですよ。”とか、

”夫がなんといおうと、あなたはあくまで、素直に夫に従うのですよ。ぶたれても、叩かれても素直に従うのですよ。みんなあなたの心の影なのです。”とか、

病気で苦しんでいる人に向かって、

”あなたの心の中に休みたい心、楽をしたい心があるから病気になったんですよ。真剣に働く心になればなおりますよ。”とか、

”ぶつぶついうからおでき(腫物(はれもの))ができるのですよ。”

”刺すような心があるから神経痛になるのですよ。”

等々、すべての想念は、その想念のごとき形を現わす。悪を想えば悪を生じ、善を想えば善を生ず、という心の法則を、人を責め、審(さば)くことにのみ使っている人びとが、宗教や修養をやっている人たちに非常に多数ある。

 私は、これは実に困ったことだ、と思うのである。

 幽界や霊界においては、その想念は直ちに現われ、その念は、すぐに自分自身にかえってくるので、どういう念が、どういう風に自分にかえるかが体験としてわかるのであるが、それでさえも、なかなか、その業因縁の念を消すことができがたいのである。まして非常に粗い波の体をもつ肉体世界の人間の、しかも、その人間と相手の間にある業因縁の種類さえも知らず、ただたんに一般論の心の法則だけを利用して、指導しようとすることは実に危険なことであって、かえって相手の進化を妨げ、浄化を乱すことになるのである。

”人を審(さば)く勿(なか)れ”

”愛はすべてを癒やす”

”神は愛なり”

 私はキリストのこれらの言葉をその人びとに与えたい。

 自己の功名心の満足や、知識に偏した愛薄き人びとによる人間指導ほど逆効果なものはないのである。

 愛深き人のみ、人間心理の指導者たり得るのである、と私は強くいいたい。

第五章②へ続く

書籍 「神と人間」 五井 昌久 著

God and Man (English Edition)

Dios y el Ser Humano (Spanish Edition) 

Deus e o Homem (Portuguese Edition)

Gott und Mensch (German Edition) 

kaa Mí Gàp Má-Nóot(タイ語)

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