如是我聞 ー五井先生の言葉ー(日本語)
高橋 英雄 編著

137.
守護神の姿が見え、声が聞こえて、いちいち教えてくれたらなァ、と思っている人があるだろうが、私は普通の当たり前が一番いいと思う。 いちいち守護神の声を聞いて、指図されて動くというのでは、ほんものではない。神我一体ではない。自分と神とがバラバラに分れている状態である。守護神の声を聞いてその通り出来る時はいい。しかし出来なかった時はどうか。肉体人間はかえって守護神に把われてしまいやしないか、守護神がかえって恐ろしくなってくるだろう。それでは勇気というものがなくなってしまう。 たとえ、神の声を聞いたとしても、それが是非なさねばならないことなら、体が自然にそう動くのだし、実際の行動になって現われる。 自分の行動に責任を持ち、自分の誤った行動はすぐ償(つぐな)いをする、という心にならなければ、人間として一人前ではない。 自分が自然に行なったこと、或いは言ったことが、そのまゝ神のみ心になっている、という生き方が神の子の本当の生き方である。

■書籍「如是我聞 ー五井先生の言葉ー」(日本語/Japanese)
高橋 英雄 編著
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