宇宙から届いたマニュアル
ー 瀨木庸介著
宇宙法則の「時」がきた
※この内容は1997年当時のものです。
ではどうして、そのような時代がきたのでしょうか 。
それは朝になれば東の空に日が昇り、春になれば新しい芽生えが始まるように、宇宙の法則の定めた「時」がやってきたからです 。
そしてその「時」に合わせて、宇宙の神々は地球の物質科学の進歩を応援し、今日では世界の大衆一人一人に、殆どもれなく意志伝達出来る、高度なコミュニケーション手段( 印刷、放送、視聴覚器具機材、コンピューター等)をもたらすことが可能になりました。
そうしたコミュニケーション技術や、あらゆる地球の科学の進歩発達にともなって、地球が丸いか平らか論争していたような昔と異なり、すべての大衆にさえ、地球世界という概念や、世界平和という概念が、認識出来るような時代がやってきました。それは、物質文明の極限の進化の結果でもありましょう。
そして個人個人に対して、瞬時に意志が伝達出来るこの時代の到来を待ちかねたように、宇宙から地球人類完成のためのマニュアルが、大衆一人一人を対象にして届けられたのです。
勿論今までにも宇宙からは、地球人類のために貴重な応援がありました。
たとえば地球壊滅の幾多の危機に際し、人類救済のため、神界特派の天使達や菩薩群を、地上界における聖者賢者や正しき宗教の真行者として、各地に誕生すべく天降らせたのも その一例です。
そして、それら聖者方の大犠牲と大慈愛によって、すでに末法の世といわれていた滅亡の時代の人類さえも、かろうじてその危機を脱することが出来ました。
しかし他方では、それら聖者のみ心を離れた各地、各時代の信奉者達による諸問題も発生し、次第に地球はまた新たな危機を迎えることになってしまいました。
かつての偉大なる聖者は、完全なる理論と慈愛、そして完成された霊力、神秘力をもって、直接触れることの出来得る弟子 や信徒達を指導し救済し、彼等大衆を見事に成道せしめることが出来ました。
しかしそれがいかに完全なる理論であったとしても、大衆が介在し、距離と時代が遠ざかれば遠ざかるほど、名目や外見はともかく、内容は異質のものに変わり、理論と理論は争い、大衆と大衆は反目し合うようになってしまいました。
そしてその争いが、物品や土地の争奪よりもかえって深刻な、地上における権威、権力の闘争や、異思想者殺戮の戦争に発展してしまったことは、歴史に見られる通りの事実です 。
それぞれの中心に立つ指導者が完全で、優れた聖者賢者であればあるほど、彼等に距離も時代も精神段階も程遠い存在の大衆の意識は 、ますますその中心者に届かなくなり、贔屓の引き倒し型や、自立心に欠けるコーチ依存型の人間を生み出し、個人においても集団においても、争いの種を蒔く結果となってしまったのです。
なぜそのようなプロセスをたどったかという説明は省略し、その根本の理由を考えるならば、地球は一つの星だ、という概念が人類にとって普遍的ではなかった時代には、大衆をもれなく目覚めさせるという計画は、いろいろな意味で、時機尚早だったのかもしれません。
また、その時代時代の大衆の誰にでも容易に理解出来て、誰でもが実行出来て、誰にでもその効果をあげられる、簡単で確実なマニュアル(手引き、作業手順書)が宇宙から届いていなかった、ということでもありましょう 。
そして仮にその手立てがあったとしても、それを人類個人個人の全てに伝達する手段がありませんでした。
しかし、今日は違います。
一人一人が、自分自身で真理に目覚めることが出来る確実な手段を、正確に一人一人に伝達可能なコミュニケーション時代がやってきたのです。
朝、目を覚ますことに始まって、目覚めということは全て何事も、自分が自分自身で目覚めぬ限り、他人の力で人はなかなか目覚めさせられないように、真理の目覚めもまた、一人一人の人間の問題です。
そうした自分自身で目覚める方法、つまりモーニングコール要員を地球に送り込むのではなく、一人 一人に渡る目覚まし時計のようなマニュアルが、宇宙からやっと届いたのです。
たとえばスポーツでも、自分で考え、自分で工夫する習慣の少ない、いわゆるコーチ依存型の選手は強くなりません。
他方、構成員の共同動作が重要な集団競技でさえも、選手の一人一人が走る司令塔のようなチームは強いように、聖者、指導者依存型ではなく、人類大衆の一人一人を真理に目覚めさせ、一人一人がコーチ、一人一人が指導者、一人一人が聖者のチームとするのが、地球完成のための宇宙の決め手だったのです。